私たちは、命が永遠にあると錯覚して生きている。命に対して無頓着で生きていると時間も意識せず「明日があるさ」の生活を送ることになる。どうも、伝えたいこと、やりたい事を先送りにしてしまう傾向があるようだ。
やりたいことを我慢し、後回しに。ふと人生を振り返ってみる「あの時に、〇〇すればよかった」と後悔することになる。
私が8年前にデイサービスの介護職をしている頃のお話をします。
デイサービスとは皆さんもご存知だと思いますが、少し説明します。介護保険では在宅サービスというカテゴリーの中に入り、「通所介護」となっております。文字通り、自宅から通って介護を受ける場所となります。通いで、お風呂に入ったり、食事、レクリエーションなどをするのが通所介護(デイ)です。
デイが終わり、1BOXタイプの車両に利用者さんたち5,6人を乗せて、各自宅へ送りとどけます。ある日最後に一人の高齢の女性が残りました(助手席に)。
「この歳で、やらないで後悔していることが、ある」と切り出してきて「30年くらい前、旦那が仕事仲間と、ボーリングをしていて、『お前もやってみろ』と云われ、断ったことを後悔している」と
「あの時ボーリングをやっとけばよかった」と話されました。その方はもっとも軽い6ポンドのボールも持てる筋力も無く、移動も歩行介助が必要な方でした。
私は「そうなんですね」といったものの心の中で『こんな容易いことをしなかった後悔をするものなんだ』と、それから毎回同じことを聞かされることになりました。
多くの人は、やって失敗することを後悔だと認識していますが、自分が本当はやりたかったことを「やらない後悔」も多くあるかもしれません。あまり意識していないことだと思いますが、潜在的にそれが蓄積されていて、人生が残り少なくなった時に心の隅にしまった記憶が起こされるのだと思います。
冒頭に書いた「余命3ヶ月」と宣告されたら、あなたならどう余生を過ごしますか?
一日を変えるブッタの教え(アルボムッレ・スマナサーラ著)の中で、
社長でいても、人気者で有名人であっても、一財産作ったとしても、子供に親戚に恵まれていたとしても、今からすべてを置いて去らなくてはいけないことを観察することです。
「一日を変えるブッダの教え」より
過去を否定するのでは無く、今まで死に向き合うことなく生きてきたこと、全てのものが自分のものになっていないことに気づき、「虚しさ」を知ることだと。
子育てに、仕事に、健康に、努力しなくてはいけない周りの人も、世界も、みな結局自分と同じ運命になるのですから、今人生を終えかけている自分ではなく、かわいそうなのはまだまだ生きていなくてはならない他人だと理解するのです。
「一日を変えるブッダの教え」より
そのように考えることが「生きる」に執着しない心を作ると師は説きます。
介護のお仕事をしていると様々なことに遭遇します。介護はその人の人生、ドラマの「エンディングを観る」とも言えます。家族に看取られる人、玄関先で倒れ亡くなる人もおられ、「死」を意識しないではいられないのが介護というお仕事でした。
現在は私は介護の現場から退いていますが、介護を通じて「生き方」を改めて考えさせられました。私も特別な人間ではないので、いずれ死が訪れます。後悔もあるでしょう、やり残したこともあるかもしれません。
その時にならないと分からないことなので、あまり深くは考えません。しかし「やりたいこと」「伝えたいこと」を意識して、これから迎える「老年期」を生きていこうと考えております。