役を演じ成りきることで人生という舞台は面白い

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人生という大舞台の中年期という佳境も仕上げの段階になり幕が閉じるエンディングが少しづつ近づいてくる。

過去を振り返ると「自分が好きな役で良かったなぁ」と実感している。

嫌いなものは嫌いと言える役で、

好きなことは思う存分できた役、

その反面、他の役者さんには、迷惑もかけてきた役でもあった。

自分が好きな役を演じることで周りに迷惑をかけることはすべきではない。自分が好きな役をこなすことで、周りも活き活きと演技に力が入るのであれば、トコトンやる価値はあると信じてここまでこれた。

これからも周りの役者が少しでも活気のある演技ができるようなブログ記事を書いていこうかと考えております。

冒頭で気持ちが入り過ぎましたが、タイトルの趣旨にもどりブロガーという役に成りきって本編を書いていこうかと思います。

 

役者はその役に成りきって演じる

ドラマ・舞台の配役が決まり、その役に成りきって演じる。例えば、2017年放送の大河ドラマ「西郷どん(segodon)」の西郷吉之助を演じている鈴木亮平さんは、ドラマ稽古中や撮影の待ち時間も思案し「吉之助だったら…」を意識して演じているとコメントされていました。

役になりきることで、あたかも魂が乗り移たかのような気迫あるシーンになる。それが観る者を感動させ魅了するのである。

私たち一般人も役者魂を日々の生活の中で取り入れていけば、より良い人生をおくれるのではないかと思う。

4月のスタート、新年度の始まり「よーし!今日から明るく元気な人を演じていくぞ!」と決めて成りきることを試してみたらどうだろう。全くの新天地であれば、自分の過去を知っている人などいない。新しい役作りのチャンスの時期でもある。

また環境が変わらずとも心機一転で変貌することはできる。周りの人は『おっ、変わったなコイツ』『やる気スイッチか入ったかぁ』などと感じられるだろう。でもなかには否定的な『頭がおかしくなっちまったかぁ』と思う人もいてるでしょうね。

そんなことはお構いなしだ。自分がやりたい役を早くとっちまえ、早いもの勝ちだせ。

 

役に成りきるために準備すること

自分がやりたい役は何かを決める

自分が演じたい役どころは何なのかをまず知らないと演じきることはできない。人生というドラマ・舞台には、様々な配役があるもの

  • おとなしい性格だけど、何故か売上が社内でナンバー1の若手営業マン 😛
  • 良くしゃべりながら寿司を握る年配の板前 😀
  • フーテンの虎次郎みたいな面白い近所のおいちゃんだが実は寂しがり屋 😆
  • 表向きはマジメだが裏では不倫している近所のママさん 😳
  • 一見フザたように見えるが実は真面目なうちの息子 :mrgreen:
  • 苦み走った顔で社会・政治の批判をするお爺さん、孫を見る目は嬉しそう 😛
  • 売るのが上手な八百屋のおばちゃん(カボチャを買ってもうた) 😥
  • クールなBarテンダー、家では赤ちゃんをあやす優しいパパ  😎

みんな個性があって楽しそうな役ばかりだ。どれも選択できないという人は、自分なりの役を作って演じれば良い。誰にも真似できないオリジナルな役をね。人とは一風変わった役もありなのではないでしょうかね。

お手本となる役者がいれば真似をする

身近に成りたい役がいないか見渡してみよう。「〇〇さんのニヒルな面いただき」「○○くんのチャラけた所もたまにはいいかっ」「親父のつまんないダジャレ」など部分的に真似るのもあり。

身近に真似したい役者がいなければ、歴史上の人物でもよいだろうし、小説の中のヒロイン・ヒーローでも良いだろう。何でもありである。

はじまりはなんでも模写、物真似からはいる。自然界でも肉食動物である親ライオンが獲物をしとめ弱った草食動物を子ライオンに与えるという。狩りの疑似体験を通して、本格的なハンターとしてデビューを果たすのである。

自分が演じている役は好きか嫌いか

与えられた役回りが嫌ならとっとと辞めて、違う役に変わることもできる(変わるタイミングを見計らって)。

「嫌い」というのが分かれば、その対義語の「好き」にも気づくはずである。好きな事に、気づかないでいる間は「嫌い」なことを体験しなければ「好き」なことには気づかない。

気づかないということは、好きなことにも巡りあうこともない。好きなことを求めることもないのである。

好きな役を研究し細部まで真似る

役どころが決まればあとは学ぶことである。吸収できることは吸収し(インプット)、そして試してみる。他者に熱く語る、発信する(アプトプット)ことで役が自分のものになり、本物になっていく。

役に成りきることで、自分の中で「こだわり」がでてきたらしめたものである。

例えばラーメン屋の店主がラーメンを盛る器にこだわったり、陶芸家が出来の悪い焼き物を割り捨てたり、そういった類の「こだわり」である。

私もブログをはじめる前にいろんなブログを閲覧し記事を読んできた。参考になるものは取り入れ、真似る。そのブロガーはどのような気持ちで記事を書いているのだろうと、心情まで真似る。

上手い言い回しの文章力だけに注目するのではなく、気持ち、感情(エモーション)、マインド的なものを記事から感じとる。

会社員を辞めてブログを始めて自分の思いを発信し続ける。その原動力は何なのか、継続していけるのは何なのかに思いを馳せて読んでみると共感できることが多いのに気づく。良いブログというのは、いかに読者と共感できるものを表現できるかによるのだと。そんな表現力を私は身につけていきたい。

それは芸術であり、アーティスト的な行為である。そんなブロガーに私もなりたい(なりたいでは思いが弱いな)、いや「成るのだ」と断言しよう。

 

演じきった先にあるもの

先にあるものは、自分が課した人生の目的なのだろう。人生という舞台の幕が降りる時間も残り1/3か2/5ほどか。

演技が終わり観客に深くお辞儀をして、人生という幕がおりた瞬間に「やったぞ!演じ切ったぞ!」達成感、満足感に浸り、感動し、涙まで流す・・・

浸ったあと顔をあげて天井を仰ぐと「あれ?もっと上手く演じることができたはずなのに…」と思い悩めはじめる。

※訳)ちょっと哲学的というか、自分の空想話なので理解に苦しむとは思うが、ついてきてほしい<(_ _)>

今まさに人生という舞台の幕がおりた瞬間「これで満足だ!」とイメージしてみる。次に目を閉じて過去を振り返る。

『あれ?あの場面でもっと上手に身をこなし、笑顔で応えることが出来たはずなのに…』という後悔のような気持ちが湧いては、こないだろうか。

あの場面では、この役のキャラだったら、こう切り返したのではないか…』その役を徹底的に演じそこねた感。細かいところまで気づかなかった、非情に残念なことだ。せっかく好きな役を頂いたのに、満足のいく演技ではなかった…『もう一度最初から演じてみたい、次は絶対に上手く演じることができるはず』だと・・・

あなたの人生のエンディング場面を目を閉じてレッツ・イマジン・・・

後悔を先にたたせることで、悔いのない人生がおくれるはずだ。

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

1963年生まれ 一級建築施工管理技士、介護福祉士・・・青年期は、電子工学を学びコンピュータの魅力にハマる。 成人期は、建築関連の仕事に就き、2004年に自身で設計・確認申請・施工しマイホームを建てる。中年期は、介護・福祉の現場を経て関連のセミナー講師、ブロガーとして活動。