いきなりですが課題を問てもらいましょう。
下記の「美味しいお茶の淹れ方」の二行を課題として自分流に書き換えてみよう。
急須に茶葉を大スプーンの2杯分を入れる(一人分は一杯)。お湯(70~80度)を2人分の量を注ぎ、約1分待つ。急須を数回軽く回す。急須には残さず湯呑みに注ぐ。
あまりにも短絡的で面白味が無い、味気ない。もっと盛って盛って、大盛で書いてみよう。
フツフツと沸騰したお湯を必要な分量、湯呑みに注ぎ下準備をしておく。温度の確認は、どうするか。湯呑みを手にして熱くて持てない場合はまだ90度~80度あると考えてよい。多少熱くても湯呑み自体を持つことができる程度が適温である。大さじ2杯(二人分)の茶葉を急須の中に入れ、湯呑みで冷ましたお湯をゆっくりと注ぐ。急須にお湯入れること約1分。急須から湯呑みに移し淹れる。その時、気をつけてほしいのは、急須に入っている分は「一滴も残さず全て注ぐ」ことである。そうすることにより、2、3煎は茶葉を継ぎ足す(若しくは出がらしを捨て、新しい茶葉と入れ替える)ことなく美味しく飲め、香りも味も楽しめる。
ちょっと盛り過ぎたかな。
上記の文章は「美味しいお茶の淹れ方」をネットで検索し、自分流に大きく盛って表現してみました。このように、全く同じ文章を真似するのではなく、自己流に言語を同意語に変換するなどを施す。これを何度も繰り返し、自分のものにして良く。多少時間をかけても諦めずに続けることが大切だと考えている。
文章力を強化するために私は、読書を強く勧める。特にエッセイ集。特定の作家ではなくても良い。芸能人、スポーツ選手、文化人etc.誰でも良い。多くの本を読んでも決して文章そのものをコピーするのでは無くて、その作家が持っているエッセンス、表現方法を真似するのである。私が読んだのが、過去記事にも書いた穂村弘(俳人)、その他には中村メイコ(芸能人)、池波正太郎(作家)、松浦弥太郎(編集長)、保坂和志(作家)など、最近読んだのが小飼弾(プログラマー・ブロガー)の「本を遊ぶ」(朝日新聞出版)、お薦めしたい本の一つである。
その本の中にこんな一節があります。
日本は他人と横並びであること、あまり個性を主張しないことを尊ぶ文化がありますが、これからは人と違う、どこか尖ったところがあれば、それだけで食っていけるくらいに思ったほうがいい。
「本を遊ぶ」朝日新聞出版より引用
「尖ったところ」は面白い表現ですね。上記の文章を自分流に変換してみます。
日本人は昔から団体で行動することで安心・安定を望んできた。個として抜きんでることはしない「奥ゆかしさ」を美徳とした。しかし、それでは自己主張が強い他国(個人に置き換えると、クセの強い人)とは張り合えない。これからの時代を生き抜くには、個々も国も同じ「自己表現力を強化する」ことが必要となるだろう。
作田友吉
どうでしょう、まったく違う文章になっています。小飼弾と私が伝えたいことを読み手側はどう捉えるのでしょうか、キャッチするのでしょうか。考えていただくのは、読み手側です。作者は、投げかけているだけです。
参考にするエッセイ集を、読む時に意識すべきことは、作者の「エッセンスをキャッチ」を掴みとり読む。何故そのような気持ちなったのか。その背景に何があるのか、などと思いはせながら読み解く。そうすることで自分の意見が確立され、文章にも落とし込める。
文章力をつけようと焦ることはない。同じ文章を「書き写す」ことはしないで良い。ただ同じタイトル・テーマで自分の意見・思いを書き綴ることで良い。自己の文章表現力が強化される。いきなり、自分が納得できるものは出来ないかもしれない。続けることで能力は身につくものだと信じる。私は今も続けている。まだ先は長いよ。完全リタイヤまであと5年もある訳だし。続けない手はない。