年相応な趣味とは

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若い頃は、ゴルフ、釣り、ボーリング、など身体を活発に動かすことが成りよりの楽しみであった。しかし年齢を重ねると、体を余り動かさずに行える、趣味・趣向に代わっていく。それが自然の成り行きなのだろう。

興味が湧くもの全てトライしてきた。現在続けているのは、やはり体をあまり動かさないことが主となる。読書、映画などであったり、パソコンに向かって文字を書くことも趣味の一環である(今は)。

私のブログネタにもなっている、幼なじみ10名程が集まる月一の飲み会での出来事である。ちなみに前回がこちらの記事・・・ミドル世代の話題は「健康」「同級生の話」「子の成長」そして「定年」

その会の宴も酣(たけなわ)。私の右隣に座る友人A氏が最近、盆栽にハマっていると切り出した。ほーっ面白そうな話題だ(興味津々)。私は話をもっと聞きたくて相打ち、大きく頷く(うんうん)、疑問に思うことを聞くなどして、友人A氏の話を盛り上げた。お調子者の私、昔はよく自己主張してきたが、最近は人の話をよく聞くようになった。実生活ではあまり自分の事を話さない。しかしブログ上では独断的な思いを述べさせていただいております(読んで頂きありがとうございます)。話がソレたので戻します。

宴テーブルの向いに座っているもう一人の友人B氏の視線を感じた私。A氏のそのまた右隣りの友人と「盆栽」について互いに熱く語り合っている。その間、B氏の方に顔を向けてみた。B氏が盆栽を趣味を否定する意見を私に云いだしたのだ(困るなー、聞こえるぞ!)。

私は『人は自由だから否定はするな』と心の中で囁きながらB氏の話を半分聞いていた。友人B氏の趣味(盆栽)を否定する言葉は止まらずにいたので、「年取れば、必然的に趣味・趣向が変わるんじゃないか」と意見した。これで少しは盆栽否定は止まれば良いかと思ったが、ますますヒートアップするではないか。「体を(激しく)動かす趣味・スポーツから遠ざかるよ」とA氏のフォローをする。火に油を注いでしまった感。益々熱くなるB氏。A氏の代弁するとターゲットが私になってくるぞ。コイツめ、まったく歳取れば益々気難しくなるものだ。

私もB氏の思い・意見をこれ以上否定すると、彼の自尊心を刺激してしまう。この辺でやめとこう。話題を切り替えるか、B氏にそっぽを向いて又A氏の話を聞こうかと迷う。結局、右隣り顔を向け、聞き耳をたてる。A氏はまだ「盆栽」を熱く語っている。話に割り込んむ。うんうん、それから、それから…。

何かに打ち込んでいる人は、輝いて見える。人のことを批判している人の表情は何故か曇って見えるのは私だけだろうか。

人は誰も自分を否定されることは、嫌なはずなのに、他人をいとも簡単に否定してしまう。ネット上でも同じようなことが見受けられる。いかがなものかな。人は、そもそも自由であるべきで、他人が首を突っ込むことではない。意見に真っ向から反対したいならば、自分の言葉で反論を雄弁に語ればいい。他者の思い・意見をただ批判しているだけでは、カッコが悪い。

「盆栽」以外に何か打ち込んでいるものを熱く語って、輝きを取り戻してくれよ。

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ABOUTこの記事をかいた人

1964年生まれ 一級建築施工管理技士、介護福祉士・・・青年期は、電子工学を学びコンピュータの魅力にハマる。 成人期は、建築関連の仕事に就き、2004年に自身で設計・確認申請・施工しマイホームを建てる。中年期は、介護・福祉の現場を経て関連のセミナー講師、ブロガーとして活動。