「万引き家族」懐かしさと切なさと心強さと

PR
PR

昨日、「万引き家族」を映画館で観た(遅ればせながら)。感想を書こうと思った。いや書かずにはいられない。誰かに話したい。

映画のキャッチコピーは「盗んだのは絆でした」。血筋の繋がりがない他人同志が「万引き」という絆で結ばれ生活している。冒頭からワクワクしながら観ていた。が、さすがに善悪の区別がつかない子供が万引きをするシーンにはドッきとさせられた。

万引きという犯罪行為を除けば、血縁関係だけの家族よりも本当の家族のよう。私にはそう映った。

映画の主人公である夫婦は、実の親から虐待(明らかではない…疑い)を受けている子供を保護(社会からみたら…誘拐)する優しい心の持ち主。子供たちも実の親よりもその夫婦、家族(同居人)に思いをよせる。血筋だけでの絆では、たとえ真の親でもそこに愛がなければ子は心を通わせてはくれない。心の繋がりが本当の「家族」といえるだろう。

この映画を注意深く見れば様々なことを考えさせられる。観る側がどの視点で捉えるかで意味、意見が変わる。私がこの映画で見えてきたのは『現代社会が抱えている諸問題が解決できる、かもしれない』と思えた。

例えば、

独居老人の孤独死問題・・・身よりの無い独居老人が他人と同じ家に住む。フランスでは既にホームシェアという形で独居の高齢者と若い学生が共に同じ家で暮らすシステムがある。独居の高齢者にとっては誰かと一緒に暮らすことは事故や事件に巻き込まれるのを防ぐことができる。また若者にとっては高額の家賃を払って1人で住むより、格安の家に住めるという利点がある。双方にとってウィンウィンの関係になる(話は簡単だが実際は、お互いに信頼関係が無ければ実現できないだろう…)

子供への虐待問題・・・劇中でもあったが「子は親を選べない」と。もしも子が親を選ぶことができたなら、暴力を振るわない親を選ぶだろう。この親は言うだろう「子供のことを思って躾をした」子の将来を案じ、「躾」とい名のもとで暴力をする。それが愛情なのだろうか。私も子供に同じようなことをした。今でも心が痛む。子供のことを思ってのことだと自分に言い聞かせていたが、この映画を観て私の身勝手な考えだったと反省した。それでも子は親についてくる。他に頼る大人がいないからだ。親を自由に選択できるのであれば不幸は避けられる。

若い夫婦だけで子供を育てるのには限界があると思う。家庭には人生経験が豊富な高齢者が必要だと考える。精神的に落ち着いた人が家にいるだけで、それだけ安心感がある。私、自身も幼い頃は祖父母も同居する家で暮らしていた。この映画にも表現されているように心が安らぐ気持ちでいたことを覚えている。

この映画の時代背景は平成だが、何かしら昭和の時代を感じた。私が幼かった頃、両親、4人の姉たち、1人兄、祖父母 の10人暮らしだったのを思い出す。よくも狭い家に10名もの大家族で住んでいたものだと、我が家族に改めて感心する。

映画の話に戻る。「万引き家族」はハッピーエンドでは終わらなかった。しかし、一筋の灯りを感じた。子と父が別れるシーン。親子は別れることで子は成長していくもの。男の子は施設から学校に通い学問を習う。立派に成人してゆくのだろうと勝手に想像した。

映画「万引き家族」は何か懐かしくもあり、また心なしか切なさもあり、心強さも感じる。不思議な映画である。

PR

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

1964年生まれ 一級建築施工管理技士、介護福祉士・・・青年期は、電子工学を学びコンピュータの魅力にハマる。 成人期は、建築関連の仕事に就き、2004年に自身で設計・確認申請・施工しマイホームを建てる。中年期は、介護・福祉の現場を経て関連のセミナー講師、ブロガーとして活動。