生活の安定、心の安定を求めるが…不安は消えない

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生活のために安定した仕事に就く。ベースが「生活の安定」なので、やりたくない仕事もこなさないといけない。

結果、心も身もかき乱され、不安定な生活になってしまう。

「心の安定」を意識し、日常の生活を送る。朝、目覚め、出勤時を想像してみてください。貴方がいつも乗る路線バスがその日に限って時間通りに来てくれない。普通に焦る(動揺)。そんな時に「心の安定」を意識する。「そんな日もあるさ」と割り切って、タクシーで駅に向かうことができる。

遅刻せず無事、会社に到着。取引先からクレームの電話対応、厳しい口調で言われ、普通に怒る(心拍数が上がる)。「何故、俺は怒っているのか?、怒っているのは、相手だろう?何故だ」と自分の怒りの原因を追求する。「心の安定」を意識する。心臓がドキドキしているから怒っていると気づいた。深呼吸して心を落ち着けるようにした。

部下から商品の発注ミスを聞かされた。数量1,000個が一桁多い、10,000個も発注。普通に狼狽える(怒鳴りたい)。何故一万個なんだ?どうするんだよ!と心の中で叫んだ。「心の安定」を意識する。部下を叱責しても意味がない。「皆んなを集め、緊急ミーティングだ」とチームを組み対策案を練った。

仕事が終わり、帰宅。小学3年生になる息子が友だちとゲームソフトの件で喧嘩をしたと妻から耳にした。(なんだと!たかがゲームごときに!)と普通に怒りを覚えた。妻に怒鳴っても問題は解決しない。「心の安定」を意識する。「友だちの怪我の状態は?(息子は)どうしている?親にお詫びの連絡をしょう」と落ち着いて対応できた。

自分の周りに起こる出来事は、ただ単に「変化している」だけで、不安定な状態だとも言える。

安定した状態とは、「変化していない」と言える。

自分自身、世間の人々、自然界、地球、宇宙、全てのものは常に変化している。なので「安定と不安定は、存在しない」ことになる。私の思い違いだと気づいた(生活の安定、心の安定を求めても安心には、辿り着かないわけだ)納得。

変化を恐れずに「変化は、当たり前のこと」と割り切って生きてみよう。成長も変化、衰えさえも変化であるから当たり前のこと。

変化しないこと↔︎安定

変化すること↔︎不安定

安定は成長も無い、衰えも無い⁈不老不死?もはや生きているとは言えないのではないか!

究極的な答えは…

「安定を求めると今を生きていないことになる」難しい、長い文章だ。もっとシンプルに表現できないものか…。

「安心は無い、あるのは無心」最後に仏教、宗教的になってしまったが良しとしよう。

ABOUTこの記事をかいた人

1963年生まれ 一級建築施工管理技士、介護福祉士・・・青年期は、電子工学を学びコンピュータの魅力にハマる。 成人期は、建築関連の仕事に就き、2004年に自身で設計・確認申請・施工しマイホームを建てる。中年期は、介護・福祉の現場を経て関連のセミナー講師、ブロガーとして活動。